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ローマの街道

 ローマの街道

「すべての道はローマに通じる」と言われるように、古代ローマを地理的に理解する際に、街道を知ることは重要でしょう。このページでは、各街道の出発点となる都市ローマにおける主要な街道を解説しています。ローマ全土の街道を網羅しているわけではありません。
時代は共和政期ころを対象としています。

いくつかの資料を検証しましたが、どのような街道があり、どんな名称であったかについては、一貫していないようです。可能な限り正確に記したいと思っていますが、間違いもあるかもしれません。教えていただければ嬉しいです。


街道の構造と名前

 ローマのほとんどの道は砂利を敷き詰めた上に砂を敷いたものであった。最初に舗装された街道がアッピア街道であり、その舗装は下図のように大がかりなものだった。しかし、このアッピア街道も末端まですべての個所が舗装されていたわけではなかったようだ。
 道幅は1.14mから9.14mとさまざまであったが、主要な道路の道幅は、4.57mから5.48mくらいが一般的。馬車がすれ違うには4.8m程の道幅が必要だったと推定される。

 自然発生的な街道(サラーリア街道:「塩の道」など)の名前は、しばしばそのまま残されている。共和政期に整備された街道には、建設の責任者となったケンソル(監察官)の名前が付けられることが多い。例えば、アッピア街道はケンソルであったアッピウスの名前に由来する。また後271年頃にアウレーリアーヌスが築いた市壁の門の名前は、しばしばその門を通る街道から名づけられている。例えば、アッピア街道が通る門はアッピア門。
 また、アッピア街道の「アッピア」は「アッピウス」の形容詞であり、「アッピウスの街道」を意味する。そのために、下記の名称と解説の中では、「アッピウス街道」と「アッピア街道」の両方の名前を併記した。

街道の構造

 建設開始当初の道路は、砂利、もしくは砕いた石の上に砂利や砂を敷き詰めた程度のものだった。帝政期に入り、主要幹線道路は舗装された。その再舗装の作業は絶えず行われていた。
 街道は異なる地形に合わせて整えられる。素材は地元で採れるものを使うことが多く、何層かに分けて舗装され、金属片さえも用いられた。
 まず、街道を作る場所を固い地層が現れるまで(1~1.5mくらい)掘り下げて、場合によっては杭などを打ち込み地盤を固くする(①)。その上に、砂利や瓦礫の層を(②)、次に小石と砂を混ぜ固めた層を(③)、さらに砕いた石と土を敷き詰めた層(④)を作る。このとき中心が弓状になるようにして、雨水が排水溝(⑦)に流れる構造を作る。その上に、中心の車道部には一辺70cmほどの多角形の石版(玄武岩など)を鱗状に敷き詰めて舗装する(⑧)。車道の外側(左右3m前後)は歩道とするために石を敷き(⑤)、車道との間には縁石(⑥)を置いた。
 街道の構造は文献によっても異なっており、時代や地質などによって違っているようだ。

マイル標石(milliarium)

 街道沿いには、ローマからの距離を表す石柱(milliarium)が1ローマン・マイル毎に置かれていた。1ローマン・マイルは1000歩の距離で、現在の1481mに相当する。標石にはローマから1マイルごとに増える数字が刻まれるとともに、その街道の建設事業とその責任者の名前なども記されていた。


共和政期のローマの地図

 
 

番号 日本語:括弧内は別名 ラテン語 解説 / ルート:括弧内は現在の地名
オースティア街道
(オースティエーンシス街道)
詳細地図
Via Ostiensis ローマの港町だったオースティア(Ostia Antica)に続く街道。現在のvia Ostiense(Via del Mare)。ティベリス河左岸にあったフォルム・ボアーリウム(Forum Boarium)から始まり、川沿いにあるトリゲミナ門(Porta Trigemina)からセルウィウスの城壁を抜けてローマを出発した。
ルート:Roma - Ostia(Ostia Antica)
アルデア街道
(アルデアーティーナ街道)
詳細地図
Via Ardeatina アルデア(Ardea)に続く街道。ナエウィア門(Porta Naevia)を通ってセルウィウスの城壁を抜けてローマを出発した。ルートは現在のVia Ardeatinaに近いと思いますが、正確な道のりはわかりませんでした。
ルート:Roma - Ardea
アッピウス街道
(アッピア街道)
詳細地図
Via Appia 前312年にケンソル(監察官)の職に就いていたアッピウス・クラウディウス・カエクス(Appius Claudius Caecus)がカプア(Capua)まで敷設した。その後、前291年にタレントゥム(Tarentum)まで、前264年にブルンディシウム(Brundisium、現Brindisi)に達した。セルウィウスの城壁のカペーナ門(Porta Capena)からローマを出発する。
ルート:Roma - Aricia(Ariccia)- TarracinaもしくはAnxur(Tarracina)- Fundi(Fondi)- Formiae(Formia)- Minturnae(Minturno)- Sinuessa(Mondragone)- CapuaもしくはCasilium(Santa Maria Capua Vetere)- Caudium(Arpaia)- Beneventum(Benevento)- Aeclanum(Mirabella Eclana)- Aquilonia(Aquionia) - Venusia(Venosa)- Silvium(Gravina)- Tarentum(Taranto)- Uria(Oria)- Brundisium(Brindisi)
ラティウム街道
(ラティーナ街道)
詳細地図
Via Latina アッピア街道よりも以前に造られた街道で、軍事的に重要であった。ローマからカプア(Capua)まで続く。アッピウス街道と同様に、セルウィウスの城壁のカペーナ門(Porta Capena)からローマを出発し、すぐにアッピウス街道と分離する。その後カプアでアッピウス街道と合流。
ルート:Roma - Anagnia(Anagni)- Ferentinum(Ferentino)- Frusino(Frosinone)- Casinum(Cassino)- Teanum(Teano)- Cales(Calvi Vecchia)- Capua(Capua)-アッピウス街道に続く。
トゥスクルム街道
(トゥスクラーナ街道)
詳細地図
Via Tusculana セルウィウスの城壁のカエリモンターナ門(Porta Caelimontana)からローマを出る。
ルート:Roma - Tusculum(Tuscolo)
プラエネステ街道
(プラエネスティーナ街道)
詳細地図
Via Praenestina セルウィウスの城壁のエスクィリーナ門(Porta Esquilina)からローマを出て、すぐにコッラーティア街道(ティーブル街道)と別れる。
ルート:Roma - Praeneste(Palestrina)
コッラーティア街道
(コッラーティーナ街道)
詳細地図
Via Collatina プラエネステ街道と同様にエスクィリーナ門(Poeta Esquilina)からローマを出て、すぐにプラエネステ街道と別れる。ローマから15キロほどにあった古代都市コッラーティアまで続く。古代のローカル道として使われていたらしい。
ルート:Roma - Collatia
ティーブル街道
(ティーブルティーナ街道)
詳細地図
⇒ウァレリウス街道
 (ウァレリア街道)
詳細地図
Via Tiburtina
⇒Via Valeria
ウィーミナーリス門(Porta Viminalis)からローマを出て、ティーブル(Tibur、現Tivoli)へと続く。ティーブル街道はさらに前154年ケンソル(監察官)であったマルクス・ウァレリウス・メッセッラ(Marcus Valerius Messella)がケルフェニア(Cerfennia)まで延長した。その街道をウァレリウス街道(Via Valeria)と呼ぶ。
ルート:Roma - Tibur(Tivoli)- Cerfennia(Collarmele)
ノーメントゥム街道
(ノーメンターナ街道)
詳細地図
Via Nomentana セルウィウスの城壁のコッリーナ門(Porta Collina)からローマを出て、すぐにサール街道と別れ、ノーメントゥム(Nomentum、現Mentana)に到る。その後、再びサール街道へと延長した。ローカル街道として重要であった。
ルート:Roma - Nomentum(Mentana)
サール街道
(サラーリア街道)
詳細地図
Via Salaria 「塩の道」の意。古代のサビーニー人たちが塩を運ぶために用いていた街道。セルウィウスの城壁のコッリーナ門(Porta Collina)からローマを出て、すぐにノーメントゥム街道と別れる。レアーテ(Reate、現在のRieti)へと続き、Castrum Truentinumでアドリア海に出て、Anconaに到る。
ルート:Roma - Reate(Rieti)- Asculum(Ascoli Piceno)- Castrum Truentinum(Porto d'Ascoli) - Ancona
フラーミニウス街道
(フラーミニア街道)
詳細地図
Via Flaminia 前220年頃にケンソル(監察官)の職に就いていたガーイウス・フラーミニウス(C. Flaminius)によって整備された街道。ウンブリア地方にあり、アドリア海に面したアリーミヌム(Ariminum)へと続く。
ルート:Roma - Falerii(Civita Castellana)- Ocriculum(Otricoli)-Narnia(Narni)- この後二手に分かれる
 ルートA: Interamna Nahars(Terni)- Spoletium (Spoleto)- Fulginium(Foligno)
 ルートB: Casuentum(San Gemini)- Carsulae- Mevania(Bevagna)
ルートの続き:Forum Flaminii(S. Giovanni Profiamma)-Nuceria Camellaria(Nocera Umbra)- Helvillum(SigilloもしくはFossato di Vico)- Cales(Cagli)- Forum Sempronii (Fossombrone)- Fanum Fortunae((Fano)-Pisaurum(Pesaro)- Ariminum(Rimini)
アウレーリウス街道
(アウレーリア街道)
詳細地図
Via Aurelia 前240年頃にケンソルの職に就いていたガーイウス・アウレーリウス・コッタ(C. Aurelius Cotta)によって整備された。ティレニア沿岸を通ってアルプスの麓、サバティアに到る。ローマからコサまでを「旧アウレーリウス街道(Via Aurelia Vetus)」、コサからピサまでを「新アウレーリウス街道(Via Aurelia Nova)」、ピサからジェノヴァまでを「アウレーリウス・スカウルス街道(Via Aurelia Scaura)」と呼び分けることがある。
ルート:Roma - Alsium(Palo)- Cosa(Ansedonia)- Pisae(Pisa)- Ganua(Genova)

注記:ラテン語の名称は、Via(街道)に地名や建設者名の形容詞がつけられている。そのために、日本語の名称は地名等に直すことができる場合は直して記した。ただし、日本語の書籍などでは形容詞のカタカナ表記を用いることもあるので、括弧の中に形容詞形の名称を併記した。
また、ルートのなかの地名に併記してある括弧内は現在の地名。

《詳細地図》はGoogle Mapを利用しています。

街道の全体図 このページで扱った街道の全体図

ローマ中心図 ローマ中心図


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このページの最終更新 2008/1/23
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